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大津家庭裁判所 昭和49年(家)312号 審判 1975年10月15日

申立人 ○○県中央児童相談所長

事件本人 A 他1名

右両名保護者親権者 B 他1名

主文

本件各申請をいずれも却下する。

理由

一  本件申請の要旨は次のとおりである。

(1)  事件本人両名は昭和四七年一二月二二日以来○○県中央児童相談所(以下単に児童相談所という。)においてケースとしての取扱いがなされてきたものであり、その間事件本人両名とも学校を断続欠席していたため、児童相談所で一時保護したのをはじめとして、家庭訓練、家庭訪問指導、学校との連絡調整等をくり返し、更に事件本人Cについては同年五月一四日から同年一一月二日までの間保護者の同意を得て養護施設a学園へ措置入所せしめていたが、その後実父が同児の引取を主張し、児相や学園側の説得にも応ぜず、家庭に連れもどしたものである。

(2)  父母とも事件本人両名に対しては盲愛状態であり、施設入所に関する同意を求めようとすると、父親は事件本人を勤務先の会社へ連れて行つてしまうような有様で、事件本人Dは父親の知的遅滞をともなう無責任な干渉をよいことに事件本人Cに暴力を加えたり、母親に刃物を投げつける等の行為をくり返しており、また父親と事件本人Dはそれぞれ仕事や学校を勝手に休んで一緒に魚釣りに行つて遊ぶような非常識なことをしている。実母も知的遅滞が認められ、事件本人両名に対しても基本的な生活訓練を施すことができずそのため事件本人Cは悪臭がひどく、下着もつけないで登校するような状況である。

(3)  以上のように、この家庭においては児童の健全育成を期待することは不可能であり、このまま両親に事件本人両名を監護させることは著しく児童の福祉を害するものであるから、事件本人Dについては教護院に、同Cについては養護施設に、それぞれ親権者である父母の意思に反しても収容する必要がある。よつて、児童福祉法第二八条によりその承認を求める。

二  そこで当裁判所において、事件本人両名の父母、学校の担任教論、児童相談所の担当児童福祉司らを審問した結果および家庭裁判所調査官の調査結果等の諸資料によつて本申請の当否を審理したが、その結果は次のとおりである。

(1)  前記申請の要旨の(1)項に記載されているように、事件本人両名はいずれもこれまで児童相談所の保護指導を受けてきたものであり、事件本人Dは長期欠席、母や妹に対する暴力反抗などの事由で昭和四八年四月二四日に、同Cは長期欠席などの事由で昭和四七年一〇月二六日に、それぞれ児童相談所が受理して以来、児童福祉司をはじめ少年センター、学校等の関係機関が協力して児童相談所の一時保護や養護施設収容などの措置をとつたほか、父母に対しても種々の方法により指導を行つてきたものである。それにもかかわらず両親とも知的水準が低く、社会常識や判断力にも欠けるところから、事件本人両名に対し基本的な生活訓練を施す能力がなく、そのため事件本人らは前記のような長期欠席など申請の要旨の(2)項記載の問題行動をはじめ、学校にも適応できず、日常の生活においても正常な生活習慣さえ身につけることができないような不健全な状態にあり、殊に事件本人Cは、学校内でも孤立自閉的で、他生徒と融和せずただ泣くばかりで援業にも全くついて行けないし、身なりも不潔で悪臭のため他生徒から嫌われるようなことさえある状況にあつたことが認められる。

(2)  このようにたしかに事件本人らの家庭における保護環境は、世間一般の水準から見れば著しく劣悪なものであり、健全な生活状態とはいえず、父母の監護能力も極めて不十分である。従つて、客観的な水準からいえばこのまま家庭で生活するよりは施設内の生活の方がはるかにすぐれており、事件本人らにとつてより良好な生活環境であることは間違いないし、生活訓練と能力の向上のための教育効果の点からいえば施設収容が必要といえるかもしれない。しかし、児童の健全な育成のためには、単に客観的な環境条件の優劣だけで判断すべきではなく、実の父母とともに親子として一つの家庭の中で生活するということもまた非常に大切なことといわなければならない。本件の場合両親の方も事件本人らを虐待放任するわけではなく、逆に強い愛情をもつているのであり、事件本人らの方も家庭あるいは父母に対して親和感や帰属感をもつており、両者の親子としての結びつきは強く親密であつて、一個の家庭として相互の情愛には欠けるところがない。ただ、両親の資質上の欠陥のために、その事件本人らに対する愛情が盲愛的、溺愛的であり監護方法が不適切で、正しい躾を与えることができないということが問題なのである。しかし、たとえ父母の監護方法が客観的に見て適切を欠くものであつても、父母がその子を自ら養育する意思と愛情を有する限り、自らの手でその子を養育しようとする自主性はできるだけ尊重すべきであり、自然な親子の生活から児童を分離することによるマイナス面も考慮しなければならない。従つて、当裁判所としては、なお指導の如何によつては施設収容によらなくても改善の余地があるかもしれないという考えのもとに、本申請受理後相当長期間にわたり経過を観察し、調査を継続してきたのであるが、幸い事件本人両名とも本申請受理当時の長期欠席はその後は完全になくなり、学校生活にも一応適応するようになつたし、両親も若干自覚をもつようになつた様子も窺われ、事態はかなり改善されてきつつあるものということができる。殊に事件本人Dの方は、その後軽微な万引の非行が一度あつたことはあるが、そのほかは格別問題になる行動もなく、学習態度も良好で学習成績も向上しており、現在のところ殆んど問題のない状態になつたことが認められ、施設収容の必要性は全くないものと考えられる。一方、事件本人Cの方はその後も上述のような状態があまり改善されず、学校においての学習にも適応できない状況が続いていたが、昭和五〇年四月の新学年からは特殊学級に移つて個別指導を受けるようになり、それ以後は徐々に良い方向に進んでおり、次第に級友ともなじみ、学習意欲も出て明るく積極的な態度が見られるようになつたとのことであり、学校側の意見としても、今のところ施設収容の必要はなく現状継続が適当であるということである。

(4)  以上のような経過に照し、現状においては事件本人Dについては施設収容の必要は全くないものと認められるし、また事件本人Cについてもなお問題は残つており、両親の生活態度も不安定で、今後必ずしも楽観はできないにしても今ただちに施設に収容することは却つてマイナスの面が大きく、それよりはむしろ今のまま父母の養育に委ね、児童相談所や学校の指導によつて改善をはかることが適当であり、更に事件本人が年齢的に成長するにつれ相応の生活習慣と社会性を習得して行くことも十分に期待できるものと考えられるので、現在のところ施設収容の必要はないものと判断すべきである。

三  以上のとおり事件本人両名とも現在のところ施設収容は適当ではないものと認められるので、本件申請はいずれも理由がないことになるからこれを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 高橋史朗)

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